
浄土真宗本願寺派
菩提山 浄土院 安楽寺
茨城県水戸市にある1221年開創の浄土真宗本願寺派安楽寺です。
毎月法話会や写経会、毎週末には日曜晨朝礼拝をしています。
墓地分譲・永代供養墓・樹木葬・後継者不要の個人墓・ペットのお墓があります。
ご縁の無い方のお葬儀やご法事等も承っております、ご相談ください。
〒茨城県水戸市元吉田町2511 ☎029-225-8892
歴史・境内
【安楽寺の歴史】
安楽寺の前身である天台宗 椿坂浄土院は現在の茨城町大戸 字 宿ノ内 南方共同墓地付近にあり天台宗 吉田山の末寺であった。
浄土院の開創時期は不明だが、宗玄により建立され、健保4年(1216)に近江国(滋賀県)出身の澤田四郎高信(僧名:諦乗)が雲水の末、辿り着く。
その後、常陸に来られていた親鸞聖人の影響を間接的に受け、承久3年(1221)頃に寺号を安楽寺とし、諦乗も唯誓と名を変えた。
慶長7年(1602)の水戸藩の検地記録は、寺領は本堂と観音堂の建つ田畑(石高 壱石四斗七合)とあり、旦那百姓が十五名の小寺院であった。
寛永2年(1625)頃に下町第一街(本町)の富豪、野田甚三郎の勧請により吉田村谷津(現在の地)に寺基を移転する。
幕府の寛文五年(1665)宗門人別改帳には一向宗 吉田村谷津 安楽寺の名がありこの頃には寺基移転が完了していた。(一向宗=浄土真宗の別名)
元禄元年(1688)5月15日に本堂、明和七年(1770)に第十六世宗源の代に庫裏が造営された。
江戸初期の本願寺東西分派の際には大谷派(東本願寺)に属していたが、後に本願寺派(西本願寺)へと転派する。
明治の廃仏毀釈の流れで安楽寺の寺中寺院、宝樹寺と宝林寺が廃寺となる。
太平洋戦争の折に鐘楼を供出する。
昭和20年(1945)水戸空襲の折に本堂・庫裏・鐘楼堂・太子堂を失う。
昭和40年に現本堂を落慶し現在に到る。
現在のご本尊 『阿弥陀如来立像』 は江戸期のもので、戦後に他の浄土真宗寺院より譲り受けた。『阿弥陀三尊来迎図』は、寺基移転前に大戸の雨貝氏に預けられたもので戦火を免れ、戦後に返還された。
安楽寺第二十四世住職継職法要にあたり
住職 澤田 唯(釋唯真)
参考:幕府宗門人別改帳・水戸史 中(一)・茨城町史 地誌編 他
【安楽寺の境内】

『親鸞聖人 常陸国御教化行脚の尊像』
作:故 小森 邦夫 先生(日展元事務局長/安楽寺元総代)

『砂丘』
作:故 小森 邦夫 先生(同上)
『阿弥陀如来立像』(木像)
江戸時代中期
『阿弥陀三尊像』(絵像)
江戸時代後期